「わからない」と言えますか  むらさき

Posted on 7月 2, 2008

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某美術大学の某教授が、ある抽象造形作品を観て
「わからんな」
とはっきり仰ったことに些か驚愕致しました。
この方がそのような方だということは存じておりましたが、今更ながらに。

「わからんな」
と申しますのは
「何を表現したいのか理解できないし何かを汲み取る気にもならない」
という意思表示でありました。

この方を「某」と表現致しますが、別段なんでも構いますまい。
准教授であろうと、著名デザイナーであろうと。
美術の世界でとりわけ肩書きや立場にしばられる位置にあっての発言に変わりはありませんから。
しかもこの教授は、美術界を揺るがす名物としてお金であちこちに引っ張ってこられる方ではなく、ご専門の研究はきちんとこなす方でいらっしゃいます。
自由奔放変人ぶりが売りというわけではいらっしゃらないのです。その分、本当に思ったことしか口になさいません。

その造形作品は、明快なメッセージを理解されようという意図は見てとれぬ、むしろ造形の特性と心象表現に重きを置いており、そうした実績で受賞歴などのある作家のものでした。しかしながらあらためて、このような奇怪な色・手触り・形態のものが評価されるとは、「美術」とはなんぞやと考えます。
イメージの上で個々に齟齬があるのはもはや当然のような存在。
そうした作品です。

美術の世界に身を置く方に、お聞きしたいと存じます。
誰を前にしても、一見不可解な造形物に関して
「理解できない」
とはっきり言い切れますか。それとも、理解できるふりをしますか。何か糸口を探しますか。違う切り口を探して長い批評表現をなさいますか。

次に思いましたのは、特に美術館に頻繁に足を運ぶというわけでもないごく一般的な市民の方々が、そのようなとっかかりのない抽象造形作品について、
「わからない」
と言えるかどうかということでございました。

わたくしが接した中では、お客様の言葉には
「わたしなどにはわかりませんから…」
というような口調に妙な申し訳なさを感じ取りました。
またもっと進みますと、『わからない』という言葉すら口に出せない方もいらっしゃいました。
非具象をお嫌いな方は、お話をうかがっておりますときちんと持論を展開なさいます。そういった愛好家の方の強い口調の裏にも、『わからない』と口にする恐れのようなものを感じることがございます。

わからないこと、理解できないことは、悪いことなのでしょう。そしてとても格好悪いことなのでしょう。
誰かがそのように決めてしまったのに相違ありません。
おそるおそる、わからないという意思表明されたお客様に対して、果たしてわたくし共のような『美術サイド』の人間が
「そうですよねえ、これは全く理解不能ですね」
と言えますかどうか。試されているような気も致します。一方、画廊に足を運んだのに
「つまり、わからなかった」
とお話をしただけでお帰りいただくのは、お客様のおみやげとしてはあんまりだという思いはもちろんございます。
ですから『わからない発言』はあくまで前提に過ぎず、その先に本当の思いを発言する自由があるのだと存じます。

「何故、わからないか」─ この方向に話題を掘り下げてゆけば興味深い対話は可能です。しかしそんなに深く長い対話を、お客様が、通りすがりに立ち寄った画廊でお望みになるでしょうか。
一方、そのような可能性を知っているお客様なら既にどこかに扉はあるのです。
ですから要する時間の長さの問題ではございません。

美術に携わる人間として、またどのようなお客様にも接する専門サイドの人間として、自由とは何か、「わからない」とは何か、考えさせられたのでございました。

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Author: むらさき
Profile:若造ギャラリストです。
Data: 2008 年 7 月 2 日 at 9:58 AM

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