日常にもっとアートを。 よいち

Posted on 2月 21, 2008

二月の中庭

昨日、当ギャラリーの展覧会会場にお越しになったお客様 Tさんと、ひときわ大きな油彩の抽象画を前に、しばらく話し込んだ。
Tさんは、展覧会のたびに足を運ぶのを楽しみにして下さる常連さんのおひとり。そして、何度か作品をお買い上げいただいた方でもある。

Tさんは、首を傾げていた。
「韓国のドラマを好きでよく観ているのだけれど、その背景に、家の中のちょっとした壁などにね、こういう気の効いた現代アートの絵画が飾ってあったりするのよ。ほんとに何ということのない主張するというわけではない小さいものだけれどそれがとっても素敵なの。
日本のドラマを観ていてもそういうものはないのよね。もっと普通に、現代美術を採り入れればいいのにね。なぜやらないのかしら」

そこで私も首を傾げて、ふたつの仮説を挙げてみた。

(1) 韓国では、実際に中流階級以上の家庭で、日常の中でアートを採り入れるハードルが低くなっている。

これは近頃私の中でちょっとホットな話題である。
船橋市民ギャラリーで連続講座「市民が育てる文化施設」の初日、 2008年2月13日に第1回「上海アートシーンと新しいアートスペース」が設けられた。
Nam HyoJunさんの談話から、アーティストの活動しやすい海外の現状(上海、北京など)について語られたというログをネットで拝読した。
日本で現代アーティストが活動しにくい背景は、生きにくさや刺激を求めて海外に出てしまう作家もいること、その支援団体すらあること。
それらを考えれば、ある程度は想像にかたくない。

次に

(2) 韓流ドラマとして日本で放映されているのは、韓国の現実の日常よりはかなり夢物語という世界である。

つまり、日常では実際にどうかということはわからない、という前提である。

そうすると、日本では夢物語のようなドラマはないのか?
あるだろう、とTさんと話し合った。
リアルであることが好まれる最近のドラマの傾向がある面では事実だとしても、たとえば「月9」という時間帯が特別であったりする事実もまたある。
その特別さはスタイリッシュであること。高級さや豪華な生活ではないが、格好のいいキレのいい人間の生きざまや生活風景である。
まさに中流階級ちょっと上、といったところだ。
しかし、その日本の夢物語には、現代アートの額が飾られることはないようだ。
注記しておくと、Tさんの提供した話に依る根拠であって、私は月9をこれまで網羅してきているわけではない。ただしTさんにはそこが非常に違いとして気がかりであるようだった。
なのでこのまま、その雑談から先へ進む。

たとえば日本のドラマの小道具や美術は、小物づかいがとてもうまいと思うことがある。「粋」「趣」という言葉がしっくりくるような。そこにはしっかり技術と資金を投入しているから嘘がない。
でもその「粋」「趣」に、なぜか現代アート作品が見当たらない。
Tさんは、
「たとえばこの作品だって、背景に置いたら素敵だし、お値段だって私が買える範囲なのに」
と、大きな作品に挟まれて展示されている、規格より非常に小さい正方形の油彩画を指した。

『アートを買う』ということについて、慣れない人にとっては相当なハードルがあることを、画廊にいると常々感じる。

このたび、Tさんは、ちょっとしたコラージュの作品を一点と、版画にペイントを加えた小作品一点をお買い上げになった。
どちらも、プレゼントにしたいということである。
Tさんのお買物はいつもそのように、相手に負担にならない金額と相手の年齢や好みを考慮して、しばしばプレゼントとする。

そういうことは、誰かにものを贈るときに誰でも考えることだ。
金額は、アートだからといってとびぬけた価格を選ばなくても良い。今回のTさんだって一作品につき2万円也、である。
その気になれば、アート作品を手にすることは、ちょっとした本革のバッグや靴を買うことや、好みのブランドのワンピースを買うことと、金額的にそれほど差があるわけではない。
そう、Tさんと一緒にうなづいた。

価格の話を進める。
ある美術関連のネットサイトで、
「美術館のミュージアムショップでの買物」
という話題に関して、
「自分の好きな著名な作家の実物作品は買えないが、そのリトグラフは好んで買う」
という回答が目立ったので興味をひいたことがある。
さて、『著名』な『リトグラフ』、幾らぐらいの値段をするのだろうか。

リトグラフもとても精巧なものは出来が良く、所有することは非常に楽しいことだろう。
ここで注目したいのだが、同じ価格で、作家が作った生の作品を手にすることはまた別の喜びがあるのではないかということだ。必ずしもその作家の名前を、国立美術館で見かけたことがなくても、である。

たとえば、Tさんと眺めていたその作品、
「こういうとこがね。いいよね」
と指で空をなぞったあたりは、油彩のマチエールのビビッドさが繊細かつ個性的で、とりわけ作品を魅力的に構成しているところであった。
油彩に限った話ではない。版画にも水彩にも、立体にも、どんなに精緻なつくりであってもそこには作家の指づかい、息づかいがある。
その作品を手から手に。
あるいは自宅に置いてみたり、あるいは人に贈ってみたりと渡ることは、本当に生きたコミュニケーションだと思う。

話題はさらに広がる。
よく、お客様から『絵をかける場所がない』というお話をうかがう。
ご来場の方の中には、ギャラリーでの挨拶・常套句として
そう口にされる方もいらっしゃるだろう。
だが、本当に魅了されて、何度も同じ作品の前に行きつ戻りつし、それでも最後にこの言葉を発して残念そうに去ってゆかれる方が事実、いらっしゃる。
その作品は必ずしも、号数万からといった銀座の画廊さんがバックについているような作品ばかりではないし、日本指おりといった作家というわけでもないのである。
絵を買ったことがないのでどうしたらいいのか、高い買物なのかどうか判定しかねるのではないかと、お話をうかがっていると推測される。

Tさんのような買い慣れた方や、作家さんご自身など、さまざまな方からアイディアを頂戴しているので、私もプレゼンテーションすることがある。
西洋的な建築の何もない壁のようなものが必要大前提と想像するところからつまづいてしまっているのではないですか…というふうに。
ある方は、階段の手すりに平面作品をかけていらっしゃるという。
ある方は、トイレの中が家の中でもっとも芸術の場であり、安らぎの場であると、冗談混じりの本気でおっしゃった。
多分、いろんなご家庭で、ちょっと素敵なカレンダーを年末にいただいたりした折、これはどこにかけようか、と思うことがあるだろう。
それと同じ感覚で良いのではないですか、と。
そして、たとえば花の絵のような季節ものなのだとすれば、花瓶に飾る花と同じに季節が過ぎたらそっとしまって、またひと巡りした頃に出しても良いのである。家の中の日常風物詩になりうる。

きっと、身近に存在する日常の現代アートへのハードルを下げる余地はまだまだある。
一介のギャラリー勤務なる私にできることは限られているが、お気に召した作品を前に
「素敵だね」
とお客様の笑みがこぼれるのを見、さらに言えば作品をお買い上げいただいて本当に嬉しそうなお顔を見、人と人をつないだ実感を得るのが何より嬉しいから、努力は惜しまない。

日本の現代アートにエールを送ろう。
そしていつか、Tさんが気の効いたドラマの美術スタッフを褒めて、喜んで私に話をしに来る日が、来ますように。

ところで、この文章の中で、「美術」と「アート」という言葉を使い分けた。その違いについては、またいずれ。

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Author: よいち
Profile:元ギャラリー運営スタッフ。 各地のイベントにこっそり出没中。
Data: 2008 年 2 月 21 日 at 10:48 AM

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