本間泉展 天才、本間泉の「幻視力エンジン」、銀座のギャラリーで初開花♪
Posted on 9月 2, 2013
本間泉が初個展を開く。
これは事件にしないといけない。
事件にするかどうかは最終的に世間が決めることだが、ある透明な領域において、これはすでに事件だ。
僕が本間泉と初めて出会ったのは、ある展示&合評会の場だった。
作品をめぐって作者が短い説明をし、そのあと、会場からの質疑や感想が飛び交うスタイルで進んでいた。
ところが、本間の夢幻的な空間を描いた絵画に対しては、感想も質問もない沈黙があった。
僕は「この幻想的な絵画には、夢の遠近法のようなものがあって、その奥行きの中に本当に入っていけそうな魅力がある」と言った。
それで活発な議論が始まった。
この発言で、僕と本間は出会った。
このときの感覚は今も少しも変わらない。
本間の奔放なイマジネーションには、内的な生命感覚がある。
内に秘めた内的な生命から、次々に色や形が展開していく。
その名のように泉のように無限に生まれていく。
仏を作ってから、なんとかそこに魂が宿らないかと待ちぼうけるような現代美術、抽象絵画とはまるで違う。
幻視力絵画なのである。
原子力は終わり、幻視力の時代が始まる。
「視えないものは去れ」。
芸術は今そのように宣言しなければならない。
童話の「みどりのゆび」のように、本間は触れるものすべてを生命化してしまう。
最近「デジカメで写真を撮るのが面白い」と言っていたが、その写真を見せてもらうと、最初から本間泉の世界であった。
カメラという媒体の特性を研究するでもなく、技術を積み重ねるでもなく、いきなり触れた途端に世界の磁場が変わって作品に変質してしまう。
今回、残念ながら写真の出展はない。
絵画だけでも驚くほど多産なのだ。
最近の作品を削ぎ落として、送った点数が約40点(本間は新潟村上在住)。
それだけでも、展示しきれなかった。
多産であって、多様。
作風はつねに驚くほど変幻するが、本質は安定している。
隠れた幻視者は日本中、世界中にいるはずだ。
しかし、本間ほど大胆で躊躇いも恐怖もなくその中に歩みいる者はいない。
手で触れたものをいとも簡単に変容させてしまう者はいない。
天才の所以である。
本間泉は、そのような1人の旗手なのである。
天才が世に出ないことは多々あることだ。
今の日本にどれだけ視みえないものを視る人々がいるか。
「境界。しんとした広がりに、さざめくもの。命の音。」
これは本間自身が展示につけた美しい言葉だ。
小さく透明な波紋はもう広がっている。
幻視力エンジンを備えた天才のデビューにぜひ立ち会ってほしい。
(文責・村松恒平)
2013.9.2〜9.7
Gallery K 〒104-0031東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F Tel/Fax.03-3563-4578 galleryk@nifty.com http://homepage3.nifty.com/galleryk
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