『Esquisse ou Croquis …?』~コラム開設について~

Posted on 6月 16, 2007

 画面をご覧のみなさま、はじめまして。
 ”Kylin”と申します。

 またまた百科事典サイト「ウィキペディア」で調べてみると、
中国の史実では想像上の動物と考えられていますが、
 「Kylin」
という単語は英和辞典にちゃんと実在します。
「麒(き)」はオス、「麟(りん)」はメスを表します。
 私もよく女性と間違われますが、生理学上は”おのこ”です。

このたび、投稿者として参加させて頂くことになりました。
 第1稿が上がって、挨拶の順番が逆なんですけれど…。

 何人かの方が「連載」の形式で継続的に記事を書かれています。
 私も、コラムタイトルを決め、テーマを決めてブログを書いて
いくのに馴れてる感じですので、以後、連載のかたちで記事を書か
せて頂くようにお願いしました。

[タイトル]=【Esquisse ou Croquis …?】
   ・仏語で
     ”下書き、それとも下描き…?”
    の意。
    語学的に合ってるかは分かりませんが、語呂が良いので、
    走ってしまいます。

[内容]=
   ・”Esquisse”は、建築設計の際の初期構想の意味で使います。
    ”Croquis”は、デッサンや絵画の描き始めの意味で使います。

    「建築」という仕事上、完成された建物の外観やインテリア
     よりも、工事途中を見る方が勉強になる場合があります。
     芸術全般も同様だと思います。
     絵画・イラスト・建築・写真・音楽・パフォーマンスなど、
     その始まりや、始まる背景、始めた人物なんかを拾って
     書いて行こうかと…。
          
     私の回りには、たまたま不思議な縁で知り合った、
     若い表現者の人々が何人か居ます。
     いやいや、私より人生の先輩でも、新たに挑戦する人だって
     居るかも知れません。
     その「過程」の中に、芸術のエッセンスが詰まってるのかも
     知れません。

     要は…、
     私にその本質を見抜く力があるか否かです。
     ダメだったときは、脱線するかも知れません。

     そんな”Kylin”を、どうぞ暖かく見守って下さいませ。

→→→** Links for ** ・・・
 ■『ウィキペディア』:「麒麟」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%92%E9%BA%9F

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「アート」って、儲からないの?

Posted on 6月 14, 2007

 京都の繁華街の一角で、イベントを終えた男5人が、
  ”ご飯を食べに…”と居酒屋に上がりこんだ。
  ”ご飯を食べに…”が”酒を飲みに…”と同義語であるのは、
もうご存知の通り…。
 メンバーは、イラストレーター、ギタリスト、シンセシスト、
アパレルデザイナー、そして建築設計者。

 このメンバーの酒席で上がる話題も、想像がつくというもの。
  ・女性のはなし
  ・食べ物のはなし
  ・酒の上での失敗のはなし
で、珍しくこんな話題が挙がったから、原稿のネタになる。
  ・アーチストの大半はなぜ貧乏なのか?
  ・アーチストとして成功するには、不幸な人生を送らないと
   ダメなのか?

 イラストレーターが呟く。
  「オレの廻りって、貧乏ばっかりやねん…。
   もう、貧乏は厭!」
 ギタリストが追いかける。
  「ぼくも昔、極限に近いとこまで行ったことがある…」

  「今日、持ってきた組立てキットも、タグのイラスト描きから、
   封入物の仕分け、袋詰めまで、ぜ~んぶ自分でやったんやで。
   で、なんぼの儲けと思う?」
  「完全な”マニュファクチャー”やなぁ…」
  「せめて、袋詰めるくらいは、優しい女にやって欲しいなぁ…」
と、話がやっぱり色っぽくなる。
 バブル経済の頃、「メセナ」という言葉が流行した。
百科事典サイト「ウィキペディア」で調べてみると、
  ”企業メセナとは、
   企業が資金を提供して文化・芸術活動を支援することである。
   代表的なものに財団などを通じた資金的バックアップや
   企業が主催するコンサートやオペラの公演、
   スポーツなど各種イベントの開催などがある。
  
   「メセナ」はフランス語のmécénat(意味は「文化の擁護」)
   に由来するというが、これはローマ帝政時代、
   初代皇帝アウグストゥスの政治的助言者であったガイウス・
   マエケナス(Gaius Maecenas)の名に由来するものである。
   彼は経済的に恵まれないウェルギリウスやホラティウスといった
   若い詩人たちの後援者としても知られ、文化の擁護や育成に尽力
   した。”

 会社の経営に行き詰ると、真っ先に削られるのは、先刻ご承知。
決して「文化的背景」があるわけではない。
 で、「メセナ」の対象も法人になりがちで、在野で頑張る個人アーチ
ストには、よほど個性が確立した人物でないと、補助は出ない。
 そのアーチストも、社会に牙をむく人ではダメである。
  だから、私の身の回りでも、企業のサポートを受けられている人は、
10人に満たない。
 知人に多くのアーチストが居るが、彼らの悩みには傾向がある。
  ・作品を作っているが、発表する場が少ない。
    ギャラリーで個展を開催するのには、資本とオーナーの許諾が
    必要だ。
    今日も、彼らは自らの作品集を持ち歩き、ギャラリーよりは
    敷居の低いアート・カフェを渡り歩く。
  ・自分がアートに関わっている際の方向性についての不安。
    「○○の作品に似ている…」
    彼らにとって、この言葉は辛い。
    いくら上手くても、オリジナリティが無ければ認められない。
    仮に誰の真似をしたわけでもないのに、情報化社会は、
    類型化を好む。
  ・アーチストとして、生きていけるのかどうか。
    純粋にアートだけでメシを食って行きたい。
    ただし、経済的成功の保証はない。
    20歳台の若い間は突っ走れる。
    けれど30歳の年齢の声が聞こえると、迷い始める。
    40歳になると、アートと副業の比率が逆転し始める。

 多くのアーチストは副業を抱えている。
彼らの自己紹介にも
  「○○しながら絵を描いています」
  「会社勤めをしながらの、サラリーマン・カメラマンです」
という言い方が多い。
 こんな発言も聞いたこともある。
  「アート作品を作ること自体が贅沢。
   私たちは、そんな余裕もない…」
 私には、表現する力が無い。
絵も描けないし、歌も上手いわけではなく、楽器も弾けない。
だから、その罪滅ぼしのために、案内を受けたイベントには出来るだけ
参上することにしている。
 単に、会場に行き眺めただけなのに、招待者側にとっては嬉しいらしい。
展覧会のルポを書くと、感謝の言葉と共に、次の週末のイベント案内が
Mailでどっと送られてくる。
 時期が重なり行けない方に謝りの連絡を取りながら、スケジュールを
調整してる私は、幸せ者である。

 気をつけなければ通り過ぎてしまうような小さなギャラリーや、
取壊し間近なビルの地下で、私が現れると顔を輝かせてくれるアーチスト
たちに、貧困や不幸の影は、とりあえず現れない。
 いや、むしろ精神的貧困や不幸の足音が忍び寄って来てるのを、私は
気が付いていないのかも知れない。

 今、流行りの「鈍感力」とか言い訳にして…。

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